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長期休みに入ると・・・ [探Q舎]

長期休みに入ると、ほとんどの探Q生の表情がとてもよくなります。
まず、来られたときの表情がキラキラしています。

(念のためですが、学校のことを否定しているわけではありません。
おそらく単純に皆さんお忙しいスケジュールなのでは?
勝手な予想で、裏付けはありませんが)

ご家庭の教育環境が整っているからこそだと思います。

子ども達は、心身ともにゆとりができて、
ゆったりと過ごせるためか、探Qの学びの時間も普段以上にとても良い学びをされます。


学びの内容としては、大変真面目な課題であるはずが、どえらく盛り上がりまして、
「笑いすぎて、声がかれる!」という発言まで。

こちらとしては、ほどほどに楽しんでくれるだろうな、
と思いながら作ったものでしたが、まさかこんなことになろうとは。
期待以上のレスポンスで、こちらもドーパミンを大量に放出しました。




子ども達の笑いのツボ、面白いです。
そういえば、人はすでに6か月齢にしてユーモアがわかるそうで、
周囲の大人が面白がっているかどうかを確認しながらユーモアを習得していくそうです。
そして1歳ではたった一人でもユーモアを理解するとのことです。
ええっと、誰の研究だったか、すみません忘れましたが、たしか、アメリカの研究者です。



さて、夏休み。
子ども達、それぞれ、やりたいことが多くありますから、
長期休みには、夏休み応援企画と称し、
休み中1コマちょこっとサービスすることにしています。
これまた、みなさんそれぞれ、個性あるリクエストで面白いです。
もちろん、何でもアリと言うわけには行きませんが、普段はなかなかできないけれど、
夏休みに一度くらい許容できるか、といったところです。

大騒ぎになりそうで恐ろしくもあり、楽しみでもあり。







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日野原重明先生 [探Q舎]

日野原重明先生。

日本で大変有名な医師で、数々の功績をのこされています。
ご存知の方が多いと思います。

昨年2017年7月18日に105歳で亡くなりました。
臨床医として、75年間勤め上げられました。
同僚たちからは日本の国宝と呼ばれていた卓越した人物です。


膨大な功績がありますが、ほんの一部をご紹介しましょう。

■1995年3月の「地下鉄サリン事件」では、病院を開放。
83歳の院長は指揮を執り、通常業務をすべて停止を指示し、被害者600人以上の治療に。
この事件の3年前に日野原先生自身が北欧の病院の視察に学び、
大災害を見越して緊急時に対応可能な設備を完備していたため可能になった。

■日本で最初に人間ドックを開設
1954年、年に1度、包括的な健康診断を行う人間ドックを導入。
これが日本国民の長寿に大きく貢献したと言われる。

■早くから予防医学の重要性を説き、終末期医療の普及にも尽力

■「成人病」と呼ばれていた一群の病気の名称を「生活習慣病」に改めた。

■数多くの著書
2001年出版の『生きかた上手』がミリオンセラーを記録し、さらに世間にその名が知られることに。

■ミュージカル化
88歳の時、レオ・ブスカーリア作の絵本「葉っぱのフレディ〜いのちの旅〜」のミュージカルのため、
脚本をてがけた。
ミュージカル初公演は2000年、自ら出演も。
子供たちと一緒に踊った(ジャパン・タイムズより)。

■平和憲法の重要性を説く

■多くの学校でいのちの授業


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そんな日野原先生が医師として天寿を全うされるまでの道を少しだけ覗いてみる。

●若き日
・10歳のとき、病気のため運動を控えなければいけない日々が続いた。
・その後、母親の病気を治してくれた医師の姿をみて、医師の道を志した。
・悲惨な戦争体験。
太平洋戦争は日野原氏が聖路加国際病院で働き始めた1941年に始まった。
大学のとき病気を患っており、徴兵は免れた。
33歳で東京大空襲を体験。
医師として出発して間もない若き日に目の当たりにしたおびただしい数の人々の死を目の当たりに。
目前で次々に無念の死を遂げていく沢山の人たちの姿。
被災者の治療に携わるも、自分自身の無力感にさいなまれた。


●晩年
100歳を超えてスケジュールは2、3年先まで一杯という多忙な日々。
100歳を過ぎても現役の医師を続け高齢者が活躍できる社会のあり方などに提言を続けた。
乗り物でのわずかな移動時間も原稿執筆。
日々の睡眠時間は4時間半。週に1度は徹夜をするという生活。
→96歳にして徹夜をやめ、睡眠を5時間に。


★夢
2020年の東京五輪に参加するのが夢だった。
命の続く限り現場に立ち続けるという信念をあくまで貫き、
生前には「少なくとも110歳まで現役を続けることを目標にしている」と語っていた。


●最期
亡くなる年の春には延命治療を拒否し、自宅療養に。
最期は、次男夫婦ら家族に囲まれ、徐々に呼吸機能が低下していった。
そばにいる一人一人と会話し、メッセージをきとんと伝えて旅立ち。


■柳田邦男氏
「日野原先生は、古代の哲学、あるいは現代の哲学者、そういったものを全部原典で読み、それをこなして自分の言葉にするんですね。その言葉が実に分かりやすい語り言葉になってるんですよ。
人の心を揺さぶる、これは医師として、患者と生の言葉で話し合うわけですから、「書き言葉」ではなくて「語り言葉」の人、しかもその言葉が精神性において非常に美しい。そこで私は、日野原先生のイメージというのは、美しい言葉を使う人、美しい言葉で患者と語る医師、こういうイメージでしたね。」

■日野原氏の設立した団体「新老人の会」の石清水由紀子氏
亡くなる3週間前、「講演会に、もう一度出たい」と突然電話を。



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■主な著書
「生きていくあなたへ 105歳 どうしても遺したかった言葉」
「十歳のきみへ―九十五歳のわたしから「」
「いのちの使いかた 」
「生きかた上手」
「生きてるだけで100点満点 99歳のぼくから君たちへ」
「いのちのおはなし」
「働く。 社会で羽ばたくあなたへ」
「旅での人と自然との出会い」
「いのちの絆 ストレスに負けない日野原流生き方」
「道は必ずどこかに続く」
「いのちのバトン 97歳のぼくから君たちへ」
「人生を輝かせる10のお話」
「95歳からの勇気ある生き方」
「人生、これからが本番 私の履歴書」
「私が人生の旅で学んだこと」など多数。


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世界の名言_part7 (日野原重明先生) [ジャンク]

世界の名言シリーズ、前回はスヌーピーでしたが、今回は、日本人の日野原重明先生です。


【教育】
●これまでの教育は、出来あがったデータを記憶させる教育であった。困難な問題にぶつかったときに、問題解決が出来るような能力を与えられていない。

●本当に学ぶべきなのは、問題とどう取り組むか、どういう戦略を立てるべきかということである。学校を出てからも自分で出来るような頭の仕組みを作る。そして、その仕組みに従って生活をし、行動することが必要なのである。


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●なんと言っても、人が人に与える最高のものは、心である。

●あなたに夢がなくなったとき、あなたの人生の半分を失います。
あなたに勇気が無くなった時、あなたの人生の全てを失います。

●自分のためにでなく、人のために生きようとするとき、その人は、もはや孤独ではない。

●他者のための「思い」と「行動」に費やした時間、人とともにどれだけの時間を分けあったかによって、真の人間としての証がなされる。

●多くの人々は自分の財産や名声や地位を得るために全力投球している。
それなのに、財産やお金よりも大切な、自分の命のために全力投球している人は少ない。

●なぜ、その大切な命のために、時間と財産を提供しないのか、そうして安全に確保された命を思いきり有効に使おうとしないのか。自分の命を自分で格調高く保つための勉強を、めいめいがもっとしなければならない。

●自分に与えられた命を、より大きな命の中に溶け込ませるために生きていくことこそ私たちが生きる究極の目的であり、永遠の命につながることだと思う。

●年をとることは、未知の世界に一歩ずつ足を踏み入れること。こんな楽しい冒険はない。

●人々とともに生きる世界に自分を置き、周囲がいま何を必要としているのか、自分には何ができるのかを絶えず考えながら、毎日の生活を送る必要がある。

●私は、生きがいとは自分を徹底的に大事にすることから始まると信じている。

●私たちに与えられた恵みを数えてみれば、どんな逆境にあったとしても、受けているものの方が、与えるものよりも多いことに気付く。受けた恵みを、どこかで返そうと考えたいものである。

●日本の憲法と聖書には同じ精神が流れている。

●自分以外のことに自分の時間を提供するためには、周りの人間から孤立して、自分だけの世界に閉じこもっていてはいけない。

●75歳をすぎてから第3の人生が始まる。今までしたことのないことをやってみよう。

●自分の命がなくなるということは、自分の命を他の人の命の中に残していくことである。










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暑さのせいで・・・? [ジャンク]

書類の日付欄に、なぜか2030年と書いてしまいました(汗)。

「これ、違いますので20消しておきますっ」
と、サラッと言われてしまい、恥ずかしい限りでした。

暑さのせいにしたいですが、ただの凡ミスでございます。

その提出先がけっこうオカタイところだったので、余計に恥ずかしかったです。

「やっぱり、この暑さでやられはったのかな?」
と思っていただけたら・・・

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