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昔の偉人達は真の探究者だった [探Q舎]

昔の偉人達はホントウに真の探究者であった、歴史を振り返れば振り返るほど、
多様な学問領域に触れれば触れるほど、このまぎれもない事実に驚嘆するばかりです。


面白いのですが、ある人物がどういうことをしたのか、については調べていないんです。
今回は、このテーマで教材作ろう、ということで毎回異なる学問領域からテーマを決めて、
それぞれ追っているんです。


あれ、あなたこんな分野でも偉大な功績を残していたのですか?
おやまあ、あなたも本業からかなり離れた領域なのに、こんなスゴい事を・・・
おやおや、ぎょぎょぎょ、一体どれだけの領域をまたいでいるの、このお方は!!


出てくる、出てくる、大事なところは全てといっていいくらい、あちこちに顔を出してきます。

「この研究とこの研究はいったいどこでどう繋がるのやら?!」
「ここに名前が出てるのは、なんでやねんっ!!」と、思わず、ツッコミを入れたくなるくらいに、
異なる学問領域の要所要所に登場します。

おそらく、かれらは、真の探究者であったのでしょう。
自分自身の探Q心に忠実に従い、心の声に素直に従った結果なのだと思われます。

その時代時代の課題でもあり、物事の本質に迫る最重要なトピックスを総なめするかのように、
自身の探究テーマとしていくつもいくつも抱え込んで、
片っ端から、あるいは同時並行して情熱的に偉業を成し遂げたのでした。

ほんとうに一人の人間が短い一生で成し遂げられるとは思えない程、
領域を超え、分野を超え、偉大な功績を残していたのでした。

ましてや現在のように便利な道具や機械に囲まれていて便利な生活ができたわけではないにも関わらず、一日24時間で、現代よりも寿命は短かったのにも関わらず、です。

心より、敬服いたします。
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太田宿を楽しむ会〜坪内逍遥 [ジャンク]

太田宿を楽しむ会に参加しました。
第二回目の今回は、中山道太田宿の神童「坪内逍遥」の幼少期から青年期
でした。

■10歳以前
シェークスピア全集翻訳や「小説神髄」で知られる逍遥は、
美濃の太田という尾張藩の代官所で育った。
10人兄弟の末っ子。
幼少期には、長男と次男や祖父母から厳しい教育を受けた。

■10歳以前に読んだ本ーー明治45年6月『少年世界』の為にーー
5.6歳の頃「百人一首」本はほぼ暗記していたという。
絵本のようなものが好きで、百人一首のお姫様を一瞬見ると、誰だかすぐに判定できた。
読むよりは見る方が好き。この頃から、既に芝居や絵が好きな傾向があったようである。
文字を習い始めると、草双紙をむさぼるように読んでいた。
7,8歳頃、しつこく兄にお話しをおねだりした。

「実語教」:庶民のための教訓を中心とした初等教科書、
その他、「孝経」「大学」「論語」などを素読。


最初は、怪しい小説家、それから英文学の教師、
それから中学校の倫理担当、それから演劇改良、脚本作家。
それから、日本の新楽劇振興案。

つまり、種は十歳以前に蒔かれてしまったのである。
運命が定まってしまったのである。
三つ子の魂百までだと思うとあさましい。
つくづく幼児の修養のゆるがせにしがたいことを今更のように悟る。


■15歳頃まで、たくさんの芝居見物と大惣の貸書籍
多くの歌舞伎鑑賞をした少年期。青年期。
名古屋に移り、大惣という貸本屋を知り、草双紙や小説類に親しんで行った。
本を山ほど借り出して来て、読み楽しんだ。
日曜日などは、弁当と座布団を抱えて行って、一日中読みふけった。
追憶の中で逍遥は、大惣について、
「私の芸術的心作用の唯一の本地、すなわち「心の故郷」であった」
と述べている。

■シェークスピアとの最初の出会い
16歳の時、アメリカ教師マクラレン教師から英語を学び、教科書に掲載されていたシェークスピア作品の朗読を聴き、シェークスピアにのめり込んだと述べている。

■東大での理財学の試験に落第
東大時代に、フェノロサの厳しい指導を受け、理財学の授業に落第させられたことが、以降の逍遥に大きな影響を与えたという。原稿を校正の段階になっても最終段階になってもさらなる推敲を加える等、
徹底して最後まで作品の完成度を高めようとする強健な姿勢はこの落第の経験が活きている可能性が高い。

■逍遥晩年の回想より

・父の影響
「肉体的にも、ごく潔癖家で、几帳面な気むずかし屋であった。
口数が少なくて、・・・・・・・・・・・、
ごく無愛想な、ただただ、真面目な男であった。」

・母の影響
母の父は俳人で、その親戚縁者の中に文芸に携わっている者があったせいか、生得の芸事好きでもあり、いくらかの芸術的のたしなみもあった。芝居好きの母。
この母は、子どもを寝かす時、本を読聞かせたという。

・兄(長兄、14歳年上)の影響
読み書きそろばん、小謡の手ほどき、木刀の型まで教えた。
大変厳しい指導だったという。

明治4年、逍遥が13歳の時、長兄は錦を飾って帰省した。
東京の文明開化の様相に親しんでいた長兄から教育方針に関する重大な示唆を得た。
外国語を学ばせる必要性、東京に出ての勉学の必要性を説いた。
この頃から、学問に対する精進を始めたようである。

・兄(次兄、9歳年上)の影響
叱ったり罵ったりしたことがなく、遊び相手になって楽しませてくれた。
厳しい教育を授ける長兄という存在と自由奔放な遊びの時間を確保してくれた次兄の存在のバランスが
絶妙だったようである。

■生涯の友との出会い
明治9年18歳の時、生涯の友人となる高田早苗(早大総長、文部大臣を歴任)と出会う。
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