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選挙を目前にして〜政治教育先進国ドイツから学ぼう [リサーチ]

ドイツの政治教育

あの戦争で、同じ敗戦国でありながら戦後大きな差異が生じたドイツと日本。

3原則について。日本との大いなる格差について少しだけご紹介します。

日本の教師は、
国からのお達しによって政治に関して自分の意見を言ってはならないとされます。

一方のドイツでは・・・
民主主義教育、政治教育はどのようになっているのか。



戦後の1952年。
連邦政治教育センター(の前身)が設立されました。
1964年に、連邦政治教育センターが設立され、現在では各州に政治教育センターが設置されています。

1976年、ボイテルスバッハにて学者達の会議が行なわれ、
その町の名にちなんでボイテルスバッハ・コンセンサスが得られました。
これは、政治教育先進国ドイツの3原則として世界に広く知られています。


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■圧倒の禁止
教師は生徒の期待される見解を持って圧倒し、生徒が自らの判断を獲得するのを妨げないこと。

圧倒、妨害してはならず、こどもたちが自主的な判断をすることを尊重しなければならない。
教師自身とは異なる意見の子ども達にも公正な評価をすることを厳しく自分に課すことが求められます。
教師という立場は、少しあやまれば権威、脅威の存在に化けてしまいがちです。
同じひとりの人間同士として、そこには優劣がないことを自覚せねばなりません。
教師が、自身の意見を子ども達に押しつけることがないようにということです。


■論争性
学問と政治の世界において論争があることは、授業の中でも論争があるものとして扱うこと。

実際に議論がある場合には、議論があることを明確に提示せねばなりません。
ものごとの考え方は割れることは当然であって、みんな同じなんてことは皆無です。
真っ二つに割れることも珍しくはないでしょう。
環境問題、脳死判定、科学の仮説などもそうですよね。
誠実に、対立する意見の両方をフェアに掲示するということが求められます。

意見が分かれているという状況からこそ、人々の多様性を知り、
ものごとの多面性を知り、世界の奥深さ、複雑さを初めて理解できるとも言えます。
対立意見を取り上げないで、政治教育は成立し得ません。

この複数の議論があるという事実を提示していないケースを多々見聞きします。
教師自身がお気に入りの説しか言及しないという場面に私自身何度も出会いました。
あれれ、この話題は非常に激しい論争が起こっていて、全く決着がついていないのに・・・
結論が自明であるように一説のみ話される教師たちにしばしば出会います。

いくつも考え方がある中で、一体自分はどのように考えるのか。
そのような多様な中で、自分はこう考える!と自分なりの意見を創造することが何よりも重要です。
これを自立というのではないでしょうか。多くの見方、考え方に触れることができるのが、
学校と言う多様性ある仲間が集まっている組織なのですから。


■生徒志向
生徒が自らの関心・利害に基づいて効果的に政治に参加できるよう、必要な能力の獲得を促すこと。

子ども達が自分自身で政治に参加することを可能とするために、必要な能力の獲得をサポートすることです。子ども達が、興味関心をもって政治に関与していくためには、政治に関して話す安全な場がぜひとも不可欠でしょう。
さて、日本にそのような場があるのでしょうか。
教師は政治に関して自分の意見をオープンにできません。
そのような中で、どのように政治を話題にして対話・議論できるのでしょう。
学校で話せる場がないなら、家庭や地域ではどうか。
学生を卒業してから、職場の人間とは政治について議論できるのかどうか。


■なぜ、ドイツでは教師が自分の政治的立場を表明できるのか?
教師は、教師である以前に国民、市民だと考えられ、自分の意見を明らかにすることは当たり前だということです。
教師が、自分の政治的考えを子ども達に言ったところで、一人の市民が意見を言ったところで、それほど大きな影響を子ども達にもたらさないという考えなのでしょう。
子ども達は、教師に依存していないということ、子ども達の考える力が信頼されているということでもあるのでしょう。
教師達も、子ども達の自立した精神を認めているのでしょう。
子ども達も、自分達の自律した精神を自認しているのでしょう。



社会には、答えが一つの問題等ほとんどない。
教師の意見も含め、人数の分だけある多種多様な政治的意見に触れることそのこと自体が、
政治教育の重要なひとつです。


さて、日本の政治教育は・・・


政治に関して、
子ども達はどこで学ぶのか。大人達はどこで学ぶのか。
どこで、話せるのか。


学ばなければ
考えなければ
話さなければ



学ばずして、政治に関われるのだろうか。

民主主義と衆愚政治。

一人ひとりが、考える力を問われている。






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